木村未明の「かしもの・かりもの勉強中」
こんにちは。木村未明です。
教祖140年祭の年祭活動が始まり、すでに半年が経とうとしています。私はこの年祭活動中にひとつ挑戦したいと考えています。
それは、
〝お道の教えをわかりやすく伝える方法を模索すること〟
さらに、信仰を持っていない方、もっと言えば中学生でも理解しやすい言葉で表現したいと思っています。
きむら みめい…勤務地、葛飾区。職業、宗教家。
1991年生まれの宗教6世。宗教の世界に身を置き、日々信仰しながら感じる喜怒哀楽の数々を書き綴る本連載。コンセプトは「しなければならない信仰から、したくなる信仰へ」
@kimura_mimei
なぜ信仰しているのだろうか?
なぜ、お道の教えをわかりやすく伝える方法を模索したいのか?
それは、「あなたはなぜ信仰をしているのですか?」という質問に答えることができない経験をしたからです。
以前、外部の方との食事の機会がありました。その方は宗教に興味を持っており、私にいくつかの質問をしました。
その1つが
「あなたはなぜ信仰をしているのですか?」
皆さんなら、どう答えるでしょうか?
私はこの質問に答えることができませんでした。
もちろん、「家が教会で・・・・・・」といったような回答はできたと思います。
ですが、相手が聞きたいことが、「天理教の教えの何に魅力を感じているのか?」だということは容易に想像できました。
私はその質問の意図に答えることができなかったんです。その時の相手の残念な表情は、今でも心に残っています。
どんな教えか、いまいちよくわからない
なぜ、答えることが出来なかったのか?
その答えは明確でした。
それは「私がお道の教えを理解していなかったから」です。
もちろん、「ハつのほこり」や「十全の守護」「かしもの・かりもの」といった用語の意味を説明することはできます。しかしそれだけでは、教えを体系的に教えを説明することは出来ませんでした。
正直にいうと、信仰をするメリットをあまり感じていなかったんです。
教えの本質が理解できておらず、納得していないから、魅力を伝えることができなかったのです。
その原因に気がついた私は、勧められた教理本を読み漁った結果、3つのことに気づきました。
それが以下です。
- 教祖ご在世当時の先生方は、「かしもの・かりもの」の教理を体系立てて話されている
- 信仰は日常から切り離されたものではなく、日常を良くする手段である
- 日常の中のちょっとした心のあり方によって、運は良くも悪くもなることがある
もし、中学生の頃に、この教えの全容を少しでも理解していたら、私の人生はより良いものになっていたかもしれません。
ただ、私が読んだ本たちは、中学生の時の私が理解するには少しばかり難しいとも感じました。
だからこそ、信仰のメリットを中学生の私でも理解できる言葉で表現したい。ゆくゆくは外部の方々にも「この教えをもっと早く知りたかった」と思ってもらえるようなものになれば幸いです。
微力ながら、教祖140年祭の旬に、このような挑戦をしたいと思います。皆さんにもアイデアを頂ければうれしいです。
どうぞよろしくお願いします。
(つづく……)
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