第1章 これからの宗教の話をしよう①│木村未明の「かしもの・かりもの勉強中」
こんにちは木村未明です
「これからの宗教の話をしよう」
すごく仰々しいタイトルをつけましたが、安心してください。難しいことは書きません。
というより、私はあまり頭が良くないので、難しいことは書けません。(笑)
正直、宗教が今後どうなっていくかはわかりませんし、どうこうしたいとも思っていません。
ただ、私が信じると決めた〝天理の教え〟が、世の中に人にどう映るのかが気になったんです。
宗教って、目には見えない神さまの世界の話なので、信じにくいことばかりだと思います。信じてほしいというよりかは、そういう世界もあるんだなーくらいに思ってもらえるだけでも幸いです。
第1章では、前提として世の中が持っている宗教観や私の信仰観について少し触れたいと思います。
「お前の信仰観なんて興味ないぞー」
っていう方は、第2章が始まるまでお待ち下さい。(笑)
きむら みめい…勤務地、葛飾区。職業、宗教家。
1991年生まれの宗教6世。宗教の世界に身を置き、日々信仰しながら感じる喜怒哀楽の数々を書き綴る本連載。コンセプトは「しなければならない信仰から、したくなる信仰へ」
@kimura_mimei
宗教?なにそれ?おいしいの?
「あなたが知っている宗教はなんですか?」
と聞かれたら、皆さんなら何をイメージしますか?
まず思い浮かぶのは、世界三大宗教といわれる、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教。キリスト教やイスラム教に次いで信徒が多いといわれるヒンドゥー教。そして、私たちに馴染みのある仏教。
また、とりわけ宗教が日常生活に馴染みがない人にとっては、宗教はなんとなく理解しがいものですよね。宗教についてそこまで深く考えることはないと思いますし、信じたい人がするもので、自分にはあまり関係がないと感じるのが普通だと思います。
一般的に言えることは、宗教に対するイメージは、クリスマスや初詣のようにポジティブなものから、洗脳や詐欺などといったネガティブなものまで様々であるということ。人々が宗教に対して持つイメージは、地域や文化、個人の経験などによって多種多様なのです。
それぞれに教えや信仰は異なりますので、ひとくくりにはできませんが、全ての共通点から、世の中もつ宗教のイメージを私なりにひとことで表すならば、
〝聖なるもの、超越したもの(神や仏)に関連した教えと実践が行われるコミュニティ(組織)〟
こんな感じでしょうか。
宗教は人類史において大きな影響を与えてきた人間の文化行動の一つです。世界情勢や自国の現状、また、個人のルーツを知るうえでも、宗教という側面について理解しておくことは大切だと思います。
「制服」のような信仰
私は130年以上続く教会(天理教)で生まれ育ちました。代々信仰を受け継ぐ、いわゆる宗教6世(そんな言葉があるかはわかりませんが笑)です。
物心がついたときから、信仰(礼拝をしたり関連行事に参加したり)が日常生活に溶け込んでいたので、宗教に対する抵抗感はありませんでした。
でも、周りの友達と比べると、信仰生活が普通ではないと薄々感じてはいました。
子どもの頃の私にとっての信仰って、礼拝や教会の行事に参加するときだけの特別なもの。礼拝や行事のときだけ「信仰」という〝服〟を着て、それ以外ではその服を脱ぐような感じなのです。
私にとっての宗教はまさに「制服」のようなもの。
私が信仰をもって生活していることを、わざわざ人には言いませんし、信仰という服を着ている姿を見られることが恥ずかしいと思っていました。
ハロウィンやクリスマスでもないのに、一人だけ仮装をしていたら恥ずかしいじゃないですか笑 そんな感覚
ですが、「宗教は特別な存在である」という私の価値観は、大人になってから壊されることになります。
信仰は普段着⁉
私は学生のころ、ヨーロッパに留学した経験があります。その経験が私の宗教観・信仰感を大きく変えました。
皆さんご承知のとおり、ヨーロッパはキリスト教の影響を強く受けています。私が行った国では、国民の8割がキリスト教、1割がイスラム教。そんな国でした。
ある日の友人との日常会話。
「君は何を信仰しているんだい?」と突然聞かれたのです。
私の目が点になりました。
なぜなら、「信仰」という服は、パッキングせずに家に置いてきたからです。(笑)
「まぁ、日本の宗教だよ。」と答えたのを憶えています。
また、別の日の出来事。
友人数名とマクドナルドに行ったときの話です。
私たちはいつも通り、ビックマックセットを注文しました。
すると、友人の一人が「俺は食べない。」と言うのです。
なぜかを聞くと、彼は「ラマダーンだから」と答えました。
私は思わず「えっ、君がかい⁉」とツッコミました。(彼はお茶目で、ビックマックが似合う体型をしているのです。)
それに対して彼は一言。「俺の家ではこれが当たり前さ。」
この2つのエピソードに共通していたのは、彼らにとって信仰が「習慣」であるということ。
何かしらの宗教の信仰がある家に生まれて、家族がみんな信じているものに自分のルーツを感じて、生き方の指針としている。懺悔をしたり礼拝をして、自分の生活の一つの指標を持っている。それを守ってさえいれば、幸せになれるんじゃなかろうかと〝安心〟を得ている。
まぁ、教えによって大なり小なり違いはありますが、多くの人はそういった価値観を持っていたんです。
そう。彼らは信仰を特別なものではなく、〝普段着〟として身につけていたんです。
宗教が特別なものであり、「制服」のように信仰をしていた私にとっては印象的な経験でした。
(つづく…)
次回→「日本は宗教のデパート⁉」
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