第1章 これからの宗教の話をしよう④│木村未明の「かしもの・かりもの勉強中」

こんにちは木村未明です

前回は、日本人が宗教に対して持つネガティブな見方について掘り下げました。信仰を持たない人々の中には、「宗教=危険」と捉える人もいるけれど、これって一面的な見方だと思う反面、信仰する人たちも、「自分の信じるものが絶対正しい」という盲目的な信念には陥らないよう、気をつけるべきだと思うというお話でした。

この記事を書いた人
木村 未明
天理教深川大教会

きむら みめい…勤務地、葛飾区。職業、宗教家。
1991年生まれの宗教6世。宗教の世界に身を置き、日々信仰しながら感じる喜怒哀楽の数々を書き綴る本連載。コンセプトは「しなければならない信仰から、したくなる信仰へ」
@kimura_mimei

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何事も付き合い方が大切

さて、「過ぎたるは及ばざるが如し」という諺があります。これは、あまりにも何かに夢中になると、かえって良くない結果を招くことを意味します。今回は「何事も付き合い方が大切」というテーマで書こうと思います。

皆さんは「スマホ依存症」という言葉を聞いたことがありますか?スマートフォンは、今や私たちの生活に欠かせない存在です。しかし、その魔法にかかりすぎると、不安やうつ、睡眠障害など、様々なトラブルの元にもなり得るんです。だからといって、「さようなら、スマホ!」とはなりませんよね。その便利さが手放せないからです。

多くの事柄にはリスクが伴いますが、適度に楽しみ、上手に付き合うことが大切です。この点でいうと、宗教も同じはずなんです。でも、街で100人に「信仰してみませんか?」と声をかけたら、99.9%の人が断ると思います。

皆さんはなぜだと思いますか?

以前の私は、宗教へのネガティブな印象が理由だと思っていました。誤解を恐れずに言うと、今は「信仰の便利さや必要性を感じないから」と考えています。

宗教って必要?

「宗教って必要ですか?」と問われたら皆さんはどのように答えますか?

私は「必要ないかもしれません」と答えます。これは、宗教は役割を終えたという意味ではなく、信仰がなくても生きてはいけるという意味です。

例えるならば、「朝食にパンは必要ですか?」と聞かれたら、「ないならないで大丈夫」と答えるのと同じように。

つまり、何人かにとっては、信仰が人生の中心的な部分を占めるかもしれませんが、他の人にとっては必要ないものかもしれないということです。

でも、このように答えると大抵「じゃあ、なんで信仰しているんですか?」と聞かれます。宗教のネガティブな側面を知りつつ、絶対に必要ではないと答える私がなぜ信仰を続けているのか。

それは、信仰が「あること」で大いに役立ち、助けられているからです。それについては次回書きたいと思います。

(つづく)

次回→「私が信仰する理由」

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