第1章 これからの宗教の話をしよう⑥│木村未明の「かしもの・かりもの勉強中」

こんにちは木村未明です

これまで、「宗教とは何か?」というテーマで、私の信仰観について書いてきました。今回からは、天理の教えに焦点を当てて書いていきたいと思います。

天理の教えについて書かれた本は、すでに多くの先生方が書かれているので、わざわざ私が書くまでもないという意見は甘んじて受け入れます。しかし、私が書きたいのは「中学生がメリットを感じる天理の教え」です。そのため、従来とは異なる表現を用いることがあります。その点ご理解いただけますと幸いです。

この記事を書いた人
木村 未明
天理教深川大教会

きむら みめい…勤務地、葛飾区。職業、宗教家。
1991年生まれの宗教6世。宗教の世界に身を置き、日々信仰しながら感じる喜怒哀楽の数々を書き綴る本連載。コンセプトは「しなければならない信仰から、したくなる信仰へ」
@kimura_mimei

目次

天然自然に成り立つのがこの世界

まず、「天理」とは何を意味するのでしょうか。天の理。つまり、世界の原理や原則、簡単に言えば「世界のルール」です。ルールと聞くと、スポーツのルール、法律、倫理、道徳といった社会のルールを思い浮かべるかもしれませんが、ここで言いたい「世界のルール」とは、〝天然自然の法則〟というルールです。

教祖は、

「この道は、人間心でいける道やない。天然自然に成り立つ道や。」

と、慶応二、三年頃、いつもお話しになっていた。

『稿本天理教教祖伝逸話篇』 24ページ

例えば、水は温度が上がるとお湯になり、凍結点を下回ると氷に変わります。物体は高いところから低いところへ落下します。ナスの種からはナスが、きゅうりの種からはきゅうりが生まれます。化学、物理学、生物学など、様々な科学がこれら「天然自然の法則」に基づいて成立しています。

この「天然自然の法則」は、自然界に限らず、自然の中で生活する私たち人間を含む全ての生物にとって欠かせません。呼吸をすることで酸素を取り入れ、食事をすることで栄養を吸収し、不要なものを排出します。体温は一定の温度を保ち、体内の水分は一定量を保っています。これらの仕組みが少しでも狂えば、人間は生存できません。

「当たり前のことを、今更何を大発見のように話しているんだ。」と思われるかもしれません。そう、当たり前のことなんです。当たり前過ぎて普段は気にも止めません。飛行機に乗っている現代人が「なんで飛行機って飛ぶのか」なんて気にしないのと同じように。人類初の飛行を成功させたと言われるライト兄弟が現代のジャンボジェットを見たら、驚きのあまり月まで飛び跳ねて、それこそ人類初の飛行を成功させるかも知れませんが……。冗談です。

ここで言いたいのは、「この世界に存在するすべてのものは、”天然自然のルール”があるからこそ存在している」ということ。自然界から人間の体内の仕組みまで、全てはこの”天然自然のルール”に従って寸分の狂いもなく整然と機能しています。天理の教えでは、このルールを「十全の守護」と教えられています。そして、これらの働き全てが、我々が「神様」と呼ぶ存在そのものなのです。

天然自然の中にある意思

ただ、こういった説明をすると。「天理教では天然自然の法則を神様と呼んでいるのですね」と言われることがあります。

しかし、天理教における「十全の守護」とは、神様が天然自然のルール(理法)そのもの、あるいは機械的で必然的な法則そのものであるということではありません。

例えば、周りを見渡して目に入るものを一つ選んでみてください。ここで質問です。その選んだものは、何のために存在するのでしょうか?例えば、ポットはお湯を沸かすため、テレビは番組を見るため、布団は寝るためにあります。これらのものには何らかの目的にために、誰かによって発明されました。自然発生的に生まれたものはひとつもありません。

何が言いたいかというと、人間の誕生や天然自然のルールも、誰かによって創造され、それには特定の目的があるということです。奇跡の星といわれる「地球」、そしてその上で生活する人間にも、何か意味があるのです。

「急に宗教っぽい話になったな」とツッコまれそうですが、宗教だけが、当たり前のことに「意味」を見出すことができる、宗教だけの専売特許だと思っています。

(つづく)

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